被災地の現状と復興の取り組みを学ぶ現地研修

1月17日(金),18日(土)に,「被災地の現状と復興の取り組みを学ぶ現地研修」があり,岩手大学の学生が釜石市と大槌町を視察しました。
この研修は,被災地の現状と復興の取り組みについて現地を訪問し実情を学ぶことにより,被災地の復興や地域再生に関して岩手大学の学生が果たすべき役割を考える機会を与え,三陸復興への関心を高めるとともに,復興を担う次代の人材を養成することを目指したものです。
この研修には,「岩手の研究~三陸の復興を考える~」の受講者や「生活支援部門ボランティア班」参加学生のうち16名が参加しました。

1泊2日の研修は,コバルト合金を制作している「(株)エイワ金属事業部」の加工場,サケの増殖を目指す「釜石湾漁協甲子川さけますふ化場」,岩手大学が高度加工機器を導入し,沿岸部のものづくり産業の復興支援の拠点としている「釜石・大槌地域産業育成センター」及びサポートセンターや仮設店舗などを一体的に整備し地域包括ケアの実現を目指した「平田第6仮設団地」の見学に加え,釜石市釜援隊による釜石市の紹介と「釜石に来てやりたいインターン」をテーマにしたグループワーク,震災当時から過酷な状況を体験した大槌町職員や宝来館女将からの講話,語り部(おらが大槌夢広場)から説明を受けて歩いた被災地見学(被災跡の残る旧大槌町役場周辺)など,内容の濃いものでした。

17日の昼食は,かまいしキッチンカープロジェクトの「むすびや」からカレーライスを配膳してもらい,被災した中小企業の再生と新事業の創出により雇用を確保し,地域の活性化を図ると共に買い物弱者への支援を目的とした釜石市の取組を体験しました。
18日は,例年開催されている「釜石冬の味覚まつり」で名物「釜石ラーメン」などを味わい,研修の締めくくりとしました。

岩手大学では,「地(知)の拠点形成整備事業(COC事業)」の採択を受けて「地域と創る”いわて協創人材育成+地元定着”プロジェクト」を実施することになりました。
これは,卒業後の地元定着率の向上や目的意識の明確化を図ることにより地域の活性化につなげることを目的として行うもので,1年次には全員が被災地で震災復興について学習することが義務づけられる予定です。

今回の現地研修がこれからの研修につながっていくことを期待します。

鍛造作業の見学(エイワ金属事業部の加工場)

鍛造作業の見学(エイワ金属事業部の加工場)

サケマスふ化場の見学(1)ふ化室,(2)飼育池,(3)ふ化槽の発眼卵,(4)ふ化直後の稚魚,(5)放流を待つ稚魚)

サケマスふ化場の見学(1)ふ化室,(2)飼育池,(3)ふ化槽の発眼卵,(4)ふ化直後の稚魚,(5)放流を待つ稚魚)

釜石サテライトで昼休み

釜石サテライトで昼休み

5軸マシニングセンターの見学(釜石・大槌地域産業育成センター)

5軸マシニングセンターの見学(釜石・大槌地域産業育成センター)

通路が体に優しいウッドデッキの平田第6仮設団地

通路が体に優しいウッドデッキの平田第6仮設団地

介護福祉士や看護士も配置されているサポートセンター(平田第6仮設団地)

介護福祉士や看護士も配置されているサポートセンター(平田第6仮設団地)

グループワークの発表をする参加者

グループワークで発表をする参加者

被災地を歩く(旧大槌町役場周辺)

被災地を歩く(旧大槌町役場周辺)

学生への期待を熱く語る宝来館のお女将さん

学生への期待を熱く語る宝来館のお女将さん

釜石冬の味覚まつり(復興支援に来ている北九州市の「小倉発祥焼きうどん」)

釜石冬の味覚まつり(復興支援に来ている北九州市の「小倉発祥焼きうどん」)

 

船越湾

船越漁港(荒神海水浴場から)

 船越湾は,北は山田町船越半島の弁天島から始まり,南は大槌町吉里吉里半島の野島までとなっています。
 一帯は,花崗岩(御箱崎の千畳敷と同じ)の海岸で,海食崖と砂浜が交互に連なっています(花崗岩は大槌町赤浜まで続きます。大槌湾内の蓬莱島も花崗岩の島です)。

荒神海水浴場と弁天島周辺
 湾北には船越半島があり,船越漁港を過ぎて奥に進むと,白砂の荒神海水浴場と少し大きな弁天島が現れます。
 浜の陰に行ってみると,海食崖が連なっています。海岸沿いに遊歩道があり,「国民宿舎タブノキ荘」のあったところ(今は船越第6仮設団地となっています)まで続きますが,一部津波による損傷も見受けられ,途中で引き返しました。

荒神海水浴場と弁天島

海食崖の遊歩道(向こう岸は大島)

海食崖と砂浜

沖行く船

荒神社
 荒神海水浴場の後背に「荒神社」があり,ここの社地内には,鎮西八郎源為朝の三男で奥州閉伊・気仙郡を治めた「閉伊頼基」の霊廟があります。

荒神社

 閉伊頼基は,国郡を治めるに当たり,家臣には武士道をしつけ,慈悲をもって里民に接し,閉伊・気仙両郡の開拓に当たったと言われています。
 「予の遺骸を水葬せよ。吾東海の守護神たらん。」と遺託して病死しました。遺骸は水葬されましたが,船越半島の大釜崎に流れ着き,小谷鳥浜に奉祀されましたがその後この荒神社に合祀されたと伝えられています(解説板より。閉伊頼基については,釜石の尾崎神社にも似たような伝えがあります。)。

 船越半島を出て国道45号線を南下すると四十八坂があります。海岸は海食崖になっていて,国道が海食台の上を走っています。現在は国道がほぼまっすぐ通っていますが,以前は,地形に沿って曲がりくねった坂の多い道だったので交通の難所だったようです。
 展望台からは,北の船越半島や大島,南の野島などが一望できます。

 四十八坂を過ぎると,浪板海岸が現れます。遠浅で返し波のない「片寄せ波」で有名でした。
 昔は,防波堤がなくて高田松原のように松の生い茂った広い砂浜でしたが,地盤沈下と津波の影響で砂浜や松林が少なくなり,波も荒くなってしまいました。

四十八坂展望台

浪板海岸

吉里吉里海岸
 吉里吉里海岸は,粒の大きい黄色味がかった砂の浜で,歩くと「キリキリ」と鳴ったことからこの海岸の名前が付いたともいわれています(実際は,波の音で聞こえませんが…)。
 先月末,砂の芸術祭が開かれました。
 津波で防波堤やベイブリッジの一部が壊れたままですが,この夏は海水浴客が来ていました。

黄色い砂の吉里吉里海岸

船越湾南端の野島(奥は御箱崎)

高田松原と一本松

被災した高田松原海岸

 高田松原海水浴場は,気仙川が上流から運んできた花崗岩由来の砂が作った砂嘴でした。
 太陽に輝く白砂を緑色の松林が包み,青く広い水平線が見える美しい浜でした。
 友人や職場の親睦会,家族づれで何度か訪れたものでした。

 が,大震災の津波によりすべてがなくなりました。
 砂は流され,松林はなぎ倒され,景勝地の面影もなくなってしまいました。

 そんな中,奇跡的に残っていた1本の松は「奇跡の一本松」と呼ばれ,鎮魂・希望・復興のシンボルとして保存されています。

奇跡の一本松

じぇじぇじぇ(‘jjj’)part2「北三陸鉄道」編

 6月末の晴れた休日,あまちゃんに会いにロケをやっているという久慈(ドラマでは北三陸市)に行きましたが,すでにロケは終わっていました(じぇじぇじぇ(‘jjj’)から続く)。

三陸鉄道北リアス線のちょっと旅

 ロケ地見学の帰りの臨時バスは,久慈駅(ドラマでは北三陸駅)まで送ってくれました。ここはJR八戸線の久慈駅と三陸鉄道北リアス線の久慈駅が隣り合っています。
 地元岩手県に住んでいますが,三陸鉄道にはまだ乗ったことがなかったので,北リアス線に乗ってみることにしました。

 駅舎内は休日ということもあり,大変混雑していましたが,駅員の方々がてきぱきと対応していました。
 北リアス線は,現在は久慈,田野畑(ドラマ上は畑野)間のみの運行となっています。田野畑までの往復切符(片道960円)をお願いすると,「1日フリー切符(1500円)」を勧めてくれました。

 ホームで待っていると,「お座敷列車北三陸号」が到着しました。お座敷列車(運賃+往復指定席料金600円)は,土曜日と休日に運行しています。
 前日13時までの予約でお座敷列車弁当が食べられます。運行時間は,行きは,久慈発12:36→田野畑着13:25,帰りは,田野畑発13:40→久慈着14:30です。

 乗車した久慈発14:45(田野畑着15:35)の列車は,レトロ列車「さんりくしおさい」でした。

久慈駅舎内の様子(三陸鉄道側)

お得な1日フリー切符

これがお座敷列車「北三陸号」

レトロ列車「さんりくしおさい」

 トンネルの多い三陸鉄道ですが,トンネルの合間合間では太平洋が開けて景観の良い所があり,堀内駅手前の安家大橋付近などで列車が停車してくれました。
 堀内駅から見る漁港には,あまちゃん「おら東京さいぐだ」の週で,夏バッパが東京に旅立つあまちゃんを大漁旗を振りながら応援した浜があります。
 田野畑に到着しました。出発の15:52(久慈着16:40)まで17分の空き時間がありましたので,田野畑駅舎を散策しました。
 三陸鉄道の駅舎には,それぞれ愛称が付けられており,田野畑は「カンパネルラ」になっています。

窓の外は広い太平洋

堀内漁港(夏バッパが大漁旗を振っていた所)

田野畑駅舎「カンパネルラ」

じぇじぇじぇ!こんな所に種市先輩が…

まちなか水族館

 久慈駅の近くに「まちなか水族館」があります。
 以前,石油備蓄基地に「もぐらんぴあ」と言う水族館がありましたが,大震災で津波の被害を受けてしまいました。しかし,サカナくんや多くの方々の支援を受けて,久慈駅前の空き店舗を利用して水族館を継続しています。

道の駅「やませ土風館」

 久慈駅から西の方に,道の駅「やませ土風館」があります。手前物産館が「土の館」,奥の観光交流センターが「風の館」です。
 物産館は,お土産の買い物客で賑わっていました。海産物は,非常に安いようです。
 風の館には,久慈秋まつりで使用する大きな山車が飾られています。
 お腹がすいたので,中のレストランで「漁師投げこみ丼」(漁によって具が変わるとのこと)をいただきました。

道の駅「やませ土風館」

お客さんがいっぱい

風の館の展示室

漁師投げこみ丼

三陸縦貫鉄道

 三陸鉄道(ドラマでは北三陸鉄道)は,昭和59年(1984年)4月(ドラマでは昭和59年6月)に開業した,当時としては初めての第三セクター方式による鉄道です。
 『三陸鉄道物語(菊池弘著,産経新聞盛岡支局発行)』では「海のアルプス鉄道」と表現され,沿岸住民の「90年の悲願」が実を結んだと記されています。明治,大正,昭和の3代にわたる風雪の90年,青森,岩手,宮城3県の海岸線を結ぶ「幻の鉄道」とまで言われた「三陸縦貫鉄道」が1本の線になったのです(レールは2本ですが)。
 明治29年6月の三陸大津波により被災した三陸沿岸の復旧のため三陸鉄道の敷設が重要であるという主旨で,同年7月に三陸鉄道株式会社の設立趣意書が提出されました。会社設立は却下されましたが,これが三陸縦貫鉄道構想のルーツと言われています。
 その後鉄道は,八戸線(昭和5年),山田線(昭和14年),大船渡線(昭和10年),気仙沼線(昭和32年)が開通しましたが,久慈・宮古間,釜石・盛間が残ってしまいました。

 ちなみに,釜石線全通(難関だった大橋トンネル貫通による足ヶ瀬・陸中大橋間の開通)は,昭和25年10月10日でした。

 三陸鉄道株式会社→http://www.sanrikutetsudou.com/

じぇじぇじぇ(‘jjj’)

 6月末の晴れた休日,ロケをやっているという情報があったので,あまちゃんに会いに久慈(ドラマでは北三陸市)に行きました。
 盛岡からは,東北自動車道を北上し,八戸道の九戸インターで県道42号に入り,戸呂(へろ)町口で国道281号に合流して東進すると,2時間ぐらいで着きます。
 至るところに,『久慈さ、いづでも こぉ~』の横断幕があります。皆さんもいつでも久慈に行きましょう。
 合流地点の下流に久慈渓流があります。紅葉の時期にはきれいな流れを見ることができます。

あまちゃんの横断幕

久慈渓流

ロケ地「小袖海岸」へ

 目指すロケ地は,小袖海岸(ドラマでは袖ヶ浜海岸)です。土日・祝日は,マイカーの通行規制があり,海岸までは,臨時バスが運行されています(30分程度)。車は,合同庁舎や市役所などの「臨時駐車場」に止められます。
 駐車場やバスの運行は,久慈市観光物産協会→http://kuji-kankou.com/のページで確認しましょう。
 この日は,観光客がいっぱいで,バス車内も混みました。でも,立っていた方が海岸や太平洋がよく見えます。
 狭い海岸道路を通りぬけ小袖漁港(ドラマでは袖ヶ浜漁港)に近づくと,あまちゃんが毎朝走っている防波堤と白灯台が見えてきます。

商店街にはポスターがいっぱい

小袖海岸行きのバス車内

小袖海岸のつりがね洞

防波堤と白灯台

ここが,ロケ現場です

 「小袖海岸」のバス停で降りると,カスリの半てんを着た女性が小袖漁港(ドラマでは袖ヶ浜漁港)までガイドしてくれました。
 ロケ現場の小袖地区(ドラマでは袖ヶ浜集落)は,収録が終わり,セットにはブルーシートがかけられていました。
 漁港や海女センターまでは,少し歩きます。

ロケ地:小袖地区

ロケ地ガイド1

ロケ地ガイド2

海女センター方面

休憩所も満席

まめぶ汁売ってます

 漁港には休憩所があり,まめぶ汁も売っていました。「豆」でも入っているのかなと思いながら食べてみると,小さなだんごの中にクルミ黒蜜が入っており,汁の塩気とだんごの中の蜜の甘みが口の中で大激論しているような味でした(右の写真は,まめぶ汁と海鮮焼きそば(味見したので少なくなりました))。

 1時間ほど,あまちゃんのドラマを思い出しながら漁港内を探索し,ロケ現場を後にしました。
 帰りのバスは,2台来てくれましたが,やはり満員でした。

あまちゃんが夏バッパに海に落とされた現場「何すんだこのババア」(後ろは夫婦岩)

あまちゃんがウニを捕った現場(『北限の海女』の素潜り実演場所)

小袖漁港(夫婦岩付近から)

岩礁に囲まれた天然プール

 —パート2(北三陸鉄道編)につづく—