寒い朝

今朝は,北風が吹きぬける寒い朝でした。

昨夜,会食会があったので,今朝はバスでの出勤です。

凍った水たまり

凍った水たまり

薄日

薄日の差す仮設団地の寒い朝

渋滞も考慮して,早めに仮設住宅を出発しました。仮設住宅からバス停のある国道45号線までは,町なかの一本道を通らなければならない。道路が狭いので,車での運転は細心の注意と譲り合いの精神が必要です。赴任当時,ガードレールに寄りすぎて2回もこすってしまった。
下平田川の下流の橋とガードレールは,いまだに津波の被害がそのままです。地区の上方では旧釜石商業高等学校の校舎跡地に復興住宅を建設中で,住民が増えるとこの道路の交通量が増える。何とかしなければならないのではと思う。

狭い道路

下平田の狭い道路

ガードレール

まだ修理されない橋

復興住宅建設中

復興住宅建設中

被災したエリアは,ようやく基礎コンクリートの撤去が始まりました。津波の被害でここも町並みが消え,海が見えるようになりました。
空き地に新しい浮きが置かれている。漁業は,復活しているのだろうか。

被災した地域(海が見える)

新しい浮き

空き地に置かれた新しい浮き

上平田バス停

上平田バス停(11月撮影)

「上平田」のバス停周辺も津波で被災し,まだそのままの状況になっています。7時20分発のバスは,25分も遅れてやって来ました。

こんな朝でも,心ひとつで暖かくなるのでしょうか。
そろそろ,春を聞きたいものです。

平田村

三浦名助の碑(右)

 その昔,平田村は南部藩閉伊郡の最南端で,伊達藩唐丹村(とうにむら)との境が藩境であり,平田御番所が置かれていた。平田御番所の史跡案内板は,被災して今はない。
当時,平田は塩の特産地であり,塩釜がいくつもあったらしい。財政困窮だった南部藩は,塩専売制を強制し,塩生産者や漁民に打撃を与え,暴動が発生するなどの社会不安を招いたようです。幕末のころ,課税過重に苦しむ三閉伊の農民による南部藩最大の百姓一揆(三閉伊一揆)が起こり,三浦命助らの率いる一揆衆は,ここ平田から唐丹村に入って仙台藩に救いを求めたとのことです。上平田入口に三浦命助の碑がある。
(参考:釜石市文化財調査報告書第13集歴史の道「浜街道(上巻)」(昭和57年釜石市教育委員会発行))