記念樹

桜の苗が大きく育つころ/僕らはみんな大人になるんだ…

 昔,「木下恵介劇場」というシリーズもののテレビ番組があり,小学校6年生(昭和41~42年)のころには「記念樹」というドラマが放送されていました(1966年4月5日から1967年2月14日までとのこと)。主題歌(木下忠司作詞作曲)の出だしを時々思い出すことがありました。

舞台は,ゆえあって親と別れた子供たちをあずかる養護施設でした。保母の一人が結婚退職するときに一緒に記念樹を植えた子供たちが,大人になってまた施設を訪れるというストーリーです。ドラマの一話一話は覚えていませんが,問題を抱えて戻ってきたり,立派な大人になって恩返しに帰ってきたりと,毎回感動する内容でした。記念樹を植える回顧シーンになると,「冷たい風が僕らを試すのさ…」と歌う子供たちの合唱が流れてきました。子供たちが,少ない小遣いを出し合って買った苗木です。
今思えば,子供たちを桜の苗木にたとえ,逆境にもめげることなく,みんなで励ましあって,夢の実現という立派な花を咲かせてほしいという思いを託した歌のようです。

…そこまで春が/来てるじゃないか手を延べて
中妻小学校昭和41年度卒業6年4組の記念樹

昭和41年の中妻小学校

このドラマの影響があったかどうかわかりませんが,小学校卒業の間際に,担任の先生がクラスの生徒を何人か連れて,校舎正面玄関脇の植込みに木の苗を植えました。茂みには古い「二宮尊徳像」が以前から放置されてありました。
しかし,昭和51年から木造校舎がコンクリート校舎に改築され,さらに,学校統廃合により双葉小学校となって校舎が再度新築されたため,僕らの植えた記念樹がどうなったか分からなくなりました。

現在の釜石市立双葉小学校

双葉小学校(円内は昭和16年に建立されたという二宮尊徳像)

釜石市立双葉小学校は,釜石市立の旧八雲小学校と旧中妻小学校が合併して平成14年4月に設置されました。「二宮尊徳像」は,台座に備え付けられて校庭東側に移設されています。
八雲小学校は,昭和10年に私立釜石製鐵所尋常小学校から公立に移管され,釜石町立釜石第三尋常小学校となって,後に八雲小学校となったものです。現在は,釜石市立釜石中学校の校舎が建っています。
中妻小学校は,昭和12年から始まった上中島町への製鐵所社宅の建設に伴って昭和14年に中妻尋常高等小学校として設置されました。児童数は,昭和17年に最大2200人ほど,ベビーブームの昭和34年には1972人に上りました。しかし,昭和39年から始まった製鐵所の合理化に伴う東海製鐵所転勤により児童数が減少し,昭和41年は1062名,翌年は800人ほどになりました。

中妻小学校校歌

製鐵所社員の転勤は昭和44年まで行われ,1724名が名古屋などに転出していきました。釜石線に面した中妻小学校の校門前で,汽車に乗った同級生を何人も見送りました。窓から体を乗り出して手を振る子もいましたが,中には顔も手も窓から出すことなくただ汽車だけが通り過ぎたこともありました。

 

(参考:釜石市立中妻小学校五十周年記念誌,鉄と共に百年)