ホヤの採苗打合せ

大槌と山田の漁業協同組合で、漁師さん達とホヤの打合せです。
これからがホヤの採苗を行う重要な時期になるのです。
この時期を逃すと、今年の種苗はなくなってしまいます。
今は、震災のため大型のホヤがなく、小型サイズでもスーパーで高値で売られているようです。

 

船越湾

船越漁港(荒神海水浴場から)

 船越湾は,北は山田町船越半島の弁天島から始まり,南は大槌町吉里吉里半島の野島までとなっています。
 一帯は,花崗岩(御箱崎の千畳敷と同じ)の海岸で,海食崖と砂浜が交互に連なっています(花崗岩は大槌町赤浜まで続きます。大槌湾内の蓬莱島も花崗岩の島です)。

荒神海水浴場と弁天島周辺
 湾北には船越半島があり,船越漁港を過ぎて奥に進むと,白砂の荒神海水浴場と少し大きな弁天島が現れます。
 浜の陰に行ってみると,海食崖が連なっています。海岸沿いに遊歩道があり,「国民宿舎タブノキ荘」のあったところ(今は船越第6仮設団地となっています)まで続きますが,一部津波による損傷も見受けられ,途中で引き返しました。

荒神海水浴場と弁天島

海食崖の遊歩道(向こう岸は大島)

海食崖と砂浜

沖行く船

荒神社
 荒神海水浴場の後背に「荒神社」があり,ここの社地内には,鎮西八郎源為朝の三男で奥州閉伊・気仙郡を治めた「閉伊頼基」の霊廟があります。

荒神社

 閉伊頼基は,国郡を治めるに当たり,家臣には武士道をしつけ,慈悲をもって里民に接し,閉伊・気仙両郡の開拓に当たったと言われています。
 「予の遺骸を水葬せよ。吾東海の守護神たらん。」と遺託して病死しました。遺骸は水葬されましたが,船越半島の大釜崎に流れ着き,小谷鳥浜に奉祀されましたがその後この荒神社に合祀されたと伝えられています(解説板より。閉伊頼基については,釜石の尾崎神社にも似たような伝えがあります。)。

 船越半島を出て国道45号線を南下すると四十八坂があります。海岸は海食崖になっていて,国道が海食台の上を走っています。現在は国道がほぼまっすぐ通っていますが,以前は,地形に沿って曲がりくねった坂の多い道だったので交通の難所だったようです。
 展望台からは,北の船越半島や大島,南の野島などが一望できます。

 四十八坂を過ぎると,浪板海岸が現れます。遠浅で返し波のない「片寄せ波」で有名でした。
 昔は,防波堤がなくて高田松原のように松の生い茂った広い砂浜でしたが,地盤沈下と津波の影響で砂浜や松林が少なくなり,波も荒くなってしまいました。

四十八坂展望台

浪板海岸

吉里吉里海岸
 吉里吉里海岸は,粒の大きい黄色味がかった砂の浜で,歩くと「キリキリ」と鳴ったことからこの海岸の名前が付いたともいわれています(実際は,波の音で聞こえませんが…)。
 先月末,砂の芸術祭が開かれました。
 津波で防波堤やベイブリッジの一部が壊れたままですが,この夏は海水浴客が来ていました。

黄色い砂の吉里吉里海岸

船越湾南端の野島(奥は御箱崎)

山田漁港のかさ上げ工事

休日返上で震災復興のための山田漁港の嵩上げ工事が行われています。
寒い中、潜水士が海に潜って作業している音が、スピーカーで街中に響いています。
作業中の連絡を伝えるための手段でしょうが、スピーカーからは潜水士の息の音だけが聞こえてきます。
工事はこのように土日も行われていますが、嵩上げするところが広範囲であるため、何年もかかりそうです。

やまだ観光物産館

山田町の大沢地区にやまだ観光物産館ができるということで現場を見てきました。
国道45号線から離れているので、集客面で課題がありそうですが、プレハブ棟は完成しており、復興にがんばる人達が集まってきます。
知り合いの業者が、物産館の中で、手作りパンなどの体験工房を考えているようですので、大学としても応援していくつもりです。
山田町の中心街の復興計画が進まないこともあり、待ちきれない人達によって、どんどん郊外にお店ができるようです。

建設中の仮設店舗