春のうららの…

旧大橋社宅のしだれ桜(甲子町大橋)

旧大松小学校(甲子町大松)

大畑の大桜(甲子町大畑)

高速道路用地のため,幾本かは切られてしまいます。

遺跡発掘調査中の福祉の森(甲子町大畑)

釜石山正福寺(甲子町松倉駅付近)

愛染山と甲子川(甲子町松倉,県立釜石病院付近)

小川川(旧小川体育館付近)

旧小川温泉(甲子町上小川)

禮口山日高寺(礼ヶ口町)

大天場山八雲神社入り口(八雲町旧二中付近)

薬師公園(大町)

嬉石町(被災した釜石警察署付近)

平田仮設団地(旧商業高校)

城山公園(大槌町)

雪桜(平田仮設団地,4月21日)

平田の山桜

釜石の春

早朝,釜石街道の春を探してみました。

平田地区では…

 大平中学校の新入生が咲き始めた桜の花の下を,重いカバンを抱えて歩いていました。

「…夢多かりしあのころの 思い出をたどれば
なつかしい友の顔が 一人ひとり浮かぶ…」
・・・ペギー葉山の歌う「学生時代」(平岡精二作詞作曲)が懐かしい。

 

 被災跡の残る平田駅前交差点では,地域の方々が交通安全運動の呼びかけをしていました。
 今日4月10日(水)は,「交通事故死ゼロを目指す日」です。
 平成25年春の全国交通安全運動は,4月6日(土)から15日(月)までの10日間,全国一斉に開催されています。

新「釜石サテライト」工事進捗状況 ( part5)

工事の進捗状況パート5(2月25日分)をお知らせします。

 建物の施設概要は,こちらのブログ「サテライト新築工事」を御覧ください。
パート4はこちらです→==2013年2月19日掲載の記事==
パート3はこちらです→==2013年2月5日掲載の記事==
パート2はこちらです→==2012年12月28日掲載の記事==
パート1はこちらです→==2012年10月16日掲載の記事==

2013年2月25日

 建物周辺の足場がすべて撤去されました。あとは,外回りのみです。

建物正面と周辺 南面テラス工事


平田湾の夕暮れ

新「釜石サテライト」工事進捗状況 ( part4)

 工事の進捗状況パート4(2月8日,19日分)をお知らせします。
 建物の名称が,「岩手大学三陸復興推進機構釜石サテライト」となりました。

建物の施設概要は,こちらのブログ「サテライト新築工事」を御覧ください。
パート3はこちらです→==2013年2月5日掲載の記事==
パート2はこちらです→==2012年12月28日掲載の記事==
パート1はこちらです→==2012年10月16日掲載の記事==

2013年2月18日

 建物外部の工事も終わりです。足場が撤去されてきました。

正面の足場も撤去

南面

南面,受水槽取り付け完了

テラス工事

南面テラス工事開始

正門

正門です

エコな街灯

風力と太陽光発電の街灯

駐車場

駐車場などの工事

2013年2月8日

 急ピッチで作業が続けられています。(南西から)

タイルの貼りタイルの貼り付け作業 器具の搬入器具の搬入作業

寒い朝

今朝は,北風が吹きぬける寒い朝でした。

昨夜,会食会があったので,今朝はバスでの出勤です。

凍った水たまり

凍った水たまり

薄日

薄日の差す仮設団地の寒い朝

渋滞も考慮して,早めに仮設住宅を出発しました。仮設住宅からバス停のある国道45号線までは,町なかの一本道を通らなければならない。道路が狭いので,車での運転は細心の注意と譲り合いの精神が必要です。赴任当時,ガードレールに寄りすぎて2回もこすってしまった。
下平田川の下流の橋とガードレールは,いまだに津波の被害がそのままです。地区の上方では旧釜石商業高等学校の校舎跡地に復興住宅を建設中で,住民が増えるとこの道路の交通量が増える。何とかしなければならないのではと思う。

狭い道路

下平田の狭い道路

ガードレール

まだ修理されない橋

復興住宅建設中

復興住宅建設中

被災したエリアは,ようやく基礎コンクリートの撤去が始まりました。津波の被害でここも町並みが消え,海が見えるようになりました。
空き地に新しい浮きが置かれている。漁業は,復活しているのだろうか。

被災した地域(海が見える)

新しい浮き

空き地に置かれた新しい浮き

上平田バス停

上平田バス停(11月撮影)

「上平田」のバス停周辺も津波で被災し,まだそのままの状況になっています。7時20分発のバスは,25分も遅れてやって来ました。

こんな朝でも,心ひとつで暖かくなるのでしょうか。
そろそろ,春を聞きたいものです。

平田村

三浦名助の碑(右)

 その昔,平田村は南部藩閉伊郡の最南端で,伊達藩唐丹村(とうにむら)との境が藩境であり,平田御番所が置かれていた。平田御番所の史跡案内板は,被災して今はない。
当時,平田は塩の特産地であり,塩釜がいくつもあったらしい。財政困窮だった南部藩は,塩専売制を強制し,塩生産者や漁民に打撃を与え,暴動が発生するなどの社会不安を招いたようです。幕末のころ,課税過重に苦しむ三閉伊の農民による南部藩最大の百姓一揆(三閉伊一揆)が起こり,三浦命助らの率いる一揆衆は,ここ平田から唐丹村に入って仙台藩に救いを求めたとのことです。上平田入口に三浦命助の碑がある。
(参考:釜石市文化財調査報告書第13集歴史の道「浜街道(上巻)」(昭和57年釜石市教育委員会発行))