「釜石」タグアーカイブ
唐丹の桜並木
沿岸南部では,桜が満開になりました。
釜石市南端の唐丹町には,昭和9年に植えられた見事な桜並木があります。
昭和8年3月3日に起きた三陸大津波で当時の唐丹村も大きな被害を受けましたが,住民の不屈な復興意識は村の再建へと立ち上がりました。
当時の村長柴琢治氏は,村の復興推進と同年12月23日に御生誕した明仁親王(現天皇陛下)の祝福も兼ね,住民の協力を求め,昭和9年春に記念事業として,将来に夢を託しながら桜の木を植樹しました。
桜の木は,唐丹地区を南北に通る浜街道の全域にソメイヨシノを2000本,西東に流れる片岸川と熊野川にも800本余りが植えられました。
この桜並木は,先人の偉業として今に語り継ぐもので,長い年月を重ね,道行く人々に大きな慰めと,先人の大きな勇気と努力を思い出させています。
(唐丹町本郷地区の案内板より)
天気の良かった4月22日月曜日の昼に,テレビの放送局が道行く親子連れを撮影していました。
近くの国道45号線の峠は「桜峠」と名付けられています。
本郷地区から南に向かい「唐丹さくらトンネル」をぬけると,小白浜漁港です。
未だに震災の爪痕が残っています。
釜石の春
春の海-御箱崎の千畳敷
3月30日の土曜日,天気が良かったので,前から行ってみたいと思っていた御箱崎(おはこざき,箱崎半島のこと)の千畳敷に遠足に行って来ました。
千畳敷までは,根浜海岸から途中の大沢駐車場まで車で20分ほど,そこから徒歩で尾崎半島の峰伝いの道を約40分ほど進むと岩場への降り口につきます。
降り口の案内板には,このように書かれてあります。
「御箱崎半島南面の三貫島と対峙する千畳敷は,花崗岩の巨大な奇岩怪岩が累々と連なる景観を呈している。太平洋を眼前にして豪壮無辺まさに海の醍醐味を満足させてくれる陸中海岸国立公園を代表する絶景の地である。なお,高波・強風の時は危険なので,絶対に降りないようにしてください。」
高波・強風の時でなくても,高所恐怖症の人は降りられません。
降り口から岩場までは崖伝いになっており,簡易な遊歩道(階段)が作られていますが,途中から花崗岩の節理による天然の階段を降りることになります。
遊歩道が途切れ天然の階段になった時,「えー!うそー!!」と発してしまいました。一時やめようとも思いましたが,ここまで来たからにはと意を決し,「天然の階段」を尻をつきつつ降りました。
千畳敷は,案内板のとおり大小さまざまな形をした奇岩怪岩でいっぱいでした。アクアマリン色の外洋と荒々しく砕ける白波,穏やかな春の日差しを受けた潮だまりに映る白い岩影と青い空,…いろいろと堪能できました。
行き帰りの徒歩,天然の階段の上り下りも,心地よい疲労感が残りました。
花崗岩
花崗岩は,マグマが地下深部でゆっくり冷え固まってできた深成岩で,粒の大きい結晶の塊です。形成の過程で水の関与が必要といわれています。花崗岩が風化すると結晶同士のつながりが弱くなり,砂状になります。根浜海岸や浪板海岸,高田松原海岸などの砂浜は,近辺の花崗岩が風化し,川の流れや海の波によって運ばれてできたものではないでしょうか。
千畳敷の奇岩や砂浜は,水の惑星「地球」でしか見られない景色かも知れません。
記念樹
桜の苗が大きく育つころ/僕らはみんな大人になるんだ…
昔,「木下恵介劇場」というシリーズもののテレビ番組があり,小学校6年生(昭和41~42年)のころには「記念樹」というドラマが放送されていました(1966年4月5日から1967年2月14日までとのこと)。主題歌(木下忠司作詞作曲)の出だしを時々思い出すことがありました。
舞台は,ゆえあって親と別れた子供たちをあずかる養護施設でした。保母の一人が結婚退職するときに一緒に記念樹を植えた子供たちが,大人になってまた施設を訪れるというストーリーです。ドラマの一話一話は覚えていませんが,問題を抱えて戻ってきたり,立派な大人になって恩返しに帰ってきたりと,毎回感動する内容でした。記念樹を植える回顧シーンになると,「冷たい風が僕らを試すのさ…」と歌う子供たちの合唱が流れてきました。子供たちが,少ない小遣いを出し合って買った苗木です。
今思えば,子供たちを桜の苗木にたとえ,逆境にもめげることなく,みんなで励ましあって,夢の実現という立派な花を咲かせてほしいという思いを託した歌のようです。
…そこまで春が/来てるじゃないか手を延べて
中妻小学校昭和41年度卒業6年4組の記念樹
このドラマの影響があったかどうかわかりませんが,小学校卒業の間際に,担任の先生がクラスの生徒を何人か連れて,校舎正面玄関脇の植込みに木の苗を植えました。茂みには古い「二宮尊徳像」が以前から放置されてありました。
しかし,昭和51年から木造校舎がコンクリート校舎に改築され,さらに,学校統廃合により双葉小学校となって校舎が再度新築されたため,僕らの植えた記念樹がどうなったか分からなくなりました。
現在の釜石市立双葉小学校
釜石市立双葉小学校は,釜石市立の旧八雲小学校と旧中妻小学校が合併して平成14年4月に設置されました。「二宮尊徳像」は,台座に備え付けられて校庭東側に移設されています。
旧八雲小学校は,昭和10年に私立釜石製鐵所尋常小学校から公立に移管され,釜石町立釜石第三尋常小学校となって,後に八雲小学校となったものです。現在は,釜石市立釜石中学校の校舎が建っています。
旧中妻小学校は,昭和12年から始まった上中島町への製鐵所社宅の建設に伴って昭和14年に中妻尋常高等小学校として設置されました。児童数は,昭和17年に最大2200人ほど,ベビーブームの昭和34年には1972人に上りました。しかし,昭和39年から始まった製鐵所の合理化に伴う東海製鐵所転勤により児童数が減少し,昭和41年は1062名,翌年は800人ほどになりました。
製鐵所社員の転勤は昭和44年まで行われ,1724名が名古屋などに転出していきました。釜石線に面した中妻小学校の校門前で,汽車に乗った同級生を何人も見送りました。窓から体を乗り出して手を振る子もいましたが,中には顔も手も窓から出すことなくただ汽車だけが通り過ぎたこともありました。
(参考:釜石市立中妻小学校五十周年記念誌,鉄と共に百年)