海の見える町

 「私が自分をもう子供でないと感じたのは,小樽市の,港を見下ろす山の中腹にある高等商業学校へ入ってからであった。」

海の見える町(教科書)

海の見える町(教科書と文庫本)

 昭和45年12月の釜石南高等学校1年生の現代国語の単元は,この文章から始まる伊藤整(いとうせい)の小説「若い詩人の肖像」の第1章「海の見える町」からの一節でした。
 伊藤整は,元東京工業大学教授で,「火の鳥」や「鳴海仙吉」などの小説や評論を書き,「チャタレー夫人の恋人」を翻訳するなど,当時の我が国で最も活躍している作家の一人であると教科書で紹介されていました。

 小説は,私(伊藤整(ひとし))が,小樽高等商業学校(現小樽商科大学)に入学した時から始まり,学校の建物や行事の紹介,隣村塩谷からの汽車通でのできごと,上級生の「小林多喜二」にライバル心を燃やしながらも,ひっそりと目立たないように振る舞っている自分の内面を「新心理主義」の手法でつづっていました。
 教科書の最後のページには,学校の図書館の「窓からは,眼の下にひろがった町と海が見え,長い突堤に抱かれた水面には汽船がいつも5・6隻浮かんでいた」と書かれており,まるで「釜石」が舞台であるかのような錯覚を覚え,この先はどうなるのだろうかと,この小説に興味を持つようになりました。

 冬休みに入ってすぐに町の本屋を探し歩いてようやくこの小説の文庫本を手に入れ,宿題そっちのけで読みふけりました。当時,高等学校に入学して少年期から多感な思春期を迎え,自分がどう見られているか気になっていたのですが,周りの同級生が大人びた言動をしている中で,あえて勉強好きの内気な生徒,ウブさ,オクテという外の形を作る主人公に共感し,同じように,ひっそりと目立たぬように,あえて内気さを失わないよう行動するようになりました。そして,この小説におぼれていることを誰にも知られないようにしました。

 この小説の影響から,海の見える町「小樽」は,私にとってあこがれの地となり,いつかは訪れてみたいと思うようになったのでした。

釜石市立釜石第二中学校

旧釜石第二中学校

母校の釜石第二中学校(校庭内に釜石警察署の仮庁舎が建っている。右上に富士見台団地が見える。)

 母校の釜石第二中学校は,平成18年度に釜石第一中学校,釜石小佐野中学校と合併し釜石中学校となり,平成17年度末で廃校となりました。
 今は,嬉石町にあった旧釜石警察署が被災したため,校庭に仮庁舎が建っています。

 学校の東側に富士見台団地がありますが(写真の右上),中学校在学当時はちょうど造成中で,高台までの坂道が運動部のランニングコースになっていました。高台に上がると,遠くに釜石湾や製鐵所がよく見え,眼下には人通りの多いにぎやかで活気のある町が見えました。
 その後この高台には,しばらくゴルフ練習場が建っていましたが,いつの間にか住宅地になっていました。

富士見台団地からの釜石湾

富士見台団地からは今も釜石湾と製鐵所近辺が見える