カリアゲ

 小学生のころ,スポーツ刈りという髪型がはやり始めました。
 それまで坊主頭だった運動の得意な子のほとんどがスポーツ刈りになり,かっこよく見えました。真似をしてスポーツ刈りにしてもらおうと上中島町の床屋に行ったのですが,頼み方がわからず「前髪の長い坊主」のように言うと,できた頭は「角刈り」になっていました。髪がもとに伸びるまで,しばらく気に入らない髪型で過ごしました。
 ここ20年ほど馴染みの床屋で散髪をしていたのですが,2,3年前にその店が閉まってしまいました。それ以来,あちこちの床屋を渡り歩いていましたが,気に入った髪型にしてくれる店がありませんでした。カリアゲの上手な店が少なくなったのです。

住んでいたアパートのあった中妻町

 先日の夕方,昔住んでいた釜石の中妻町界隈を散策しました。
 この町は,製鐵所の社員アパートのあったところで,中学2年生の夏から卒業するまで住んでいました。
 今は,住んでいたアパートなど数棟が取り壊され,さまざまな商店が並んでいます。
 当時この辺に映画館がありましたが,名前を忘れてしまいました。

懐かしい中妻町の路地裏

 路地裏に入ってみると,中学生の時に散髪してもらった床屋が昔のまま残っていました。
 当時は,女性の店員が何人もいました。一度髪を短くしてもらいたくて,映画監督のように何度も「カット」「カット」と繰り返しましたが,店員に「これ以上カットすると,かっこ悪くなる。」と言われ,あきらめました。
 そんなことを思い出しながら,ちょうど髪も伸びていたので入ってみることにしました。

 店には,おしゃれな髪型をした小柄な初老の店主がおり,入口のソファーに腰掛け,テレビを見ていました。
 理容いすに座り,昔ながらの木製の鏡台や引き出しを懐かしく見ながら,「下の方はバリカンでカリアゲしてください。上の方も短めにお願いします。」といつものように注文し,「昔,近くに住んでいたのだけれども,映画館がありましたよね。何という名前でしたっけ。」と聞くと,店主は「○○館だよ。よく見に行ったね。」と答え,昔の話をし出しました。
 この店は,父親の店を継いだもので昔は店員がたくさんいたこと,父親は頑固な職人で似合わない髪型を注文するとよそへ行けと言っていたこと,髪型は長い髪にでなく短い方に合わせるものだなど,頑固さまで受け継いだみたいでした。
 しばらくして,出身校や年齢を聞かれ答えると,店主とは中学3年生の同級生で,彼はK君でした。この店が同級生の店だったとは知りませんでした。鼻にかかった声は,昔のまんまで,中学生の彼と話をしているような気分になってきました。尊敬していた担任の佐々木先生が早くに亡くなったこと,1回しかやらなかったクラス会,同じ班のI君や同級生のことなど,懐かしい話を聞かせてくれました。

津波被害のなかった中妻町は,空き地だったところが,今,住宅建築が盛んです。

 一通りカットが終わり,鏡を当てながら「どうですか。」と聞いてきたので,「いいですね。最近,カリアゲの上手な店が少なくなりました。」と言うと,「ここの角はもう少し切った方がいいですけどね。」と言ってきました。
 「じゃ,一番似合う髪型にしてください。」
 「ここもこうした方がいい。イメージが少し変わるけどいいですか。」
 「お願いします。ところで,映画館の名前は何でしたっけ。」
 「○○館だよ。」と言いながら,彼は,大海に出たサケの幼魚のように,生き生きとハサミをさばき始め,白粉をふって丁寧にカリアゲしてくれました。
 そして,ひげを剃り,髪を洗い,リキッドをたっぷり付けて,最後のセットをし,「どうですか。」とまた聞いてきました。「少し若返りましたか。」と聞き返すと,「若く見えますよ。」と言ってくれました。
 勘定を済ませ,お礼を言って店を出ると,もうすでに店じまいの時刻を過ぎ,辺りは暗くなっていました。
 (えーと,映画館の名前はなんだったっけ。)
 店に戻って聞き返すのも恥ずかしいのであきらめ,上手にカリアゲされたうなじをかき上げました。

釜石第2中学校1970卒業文集から
 彼との話の中に出てきたI君の作文です。

「希望」
 明るく素直で,やさしい心を,いつまでも
清らかな人生を,夢と希望を持って,力強く
真の道を。