猿の惑星

秋口に大橋近辺の空き地にえさを食べに来たニホンザルの一団,本文とは関係ありません。
(ニホンザルは「猿の惑星」には登場しません。)

釜石の映画館
 釜石には映画館がたくさんありました。
 記憶しているのは,町の方には,只越町の「第一劇場」,大町の「国際劇場」と「錦館」,錦館の隣に「シネマセンター」がありました。
 「錦館」は,現在ホテルサンルートの立っているところにあり,のちに市民文化会館になって成人式などが行われ,参加しました。
 古い住宅地図を見ると,小佐野町に「小佐野映画劇場」の名前があります。今はアパートが建っていますが,近くで井戸端会議をしていた年配の女性達に話を聞いたら,「文化劇場」と呼ばれ,テレビのない時代に夕方ニュース番組をやっていて,仕事帰りによく通ったと,嬉しそうに話してくれました。
 大橋にもあったようです。
 昭和40年代初めごろに中妻町の社宅跡地に「富士館」が建ちました。
 隣には5階建てのスーパーもでき,大変便利になりました。

 当時は本屋もたくさんあり,友人との遊びの一つは,本屋のハシゴでした。
 
釜石で見た映画
 小学校のころに怪獣ブームが来て,近所の子供達とゴジラやガメラのシリーズをよく見ました。キングコング,キングギドラ,モスラ,ミニラ,ギャオスなどとの対戦があり,ハラハラしたものでした。
 中学生になってからは,外国映画も見るようになり,「ミクロの決死圏」,「天地創造」,「恐竜100万年」,「007は二度死ぬ」など,SFものを好んで友人と見に行きました。
 また,学校の映画学習で見た,記録映画「東京オリンピック」,「ベン・ハー」,「アンクルトムの小屋」なども記憶にあります。
 「日本のいちばん長い日」も記憶にありますが,いつ見たか覚えていません。

映画「猿の惑星」の思い出
 猿の惑星は,1968年公開されたアメリカの映画です(中学2年のころですが,釜石での公開が同じ時期かどうかは,定かではありません。)。
 吹き替えではなく字幕でしたので,映像とスクリーン右端に書かれた文字を交互に見なければならないので,大変でした。
 ラスト近くになり,チンパンジーの科学者達と分かれた主人公が人間の女性を連れて浜辺を馬に乗って進んでいました。

映画のラストシーンに出てきたような浜

 鵜住居の根浜海岸や両石の鏡海岸のようだと思いながら映像を見ていると,とんがったものががけ上に現れ,突然主人公が何かを発したので字幕の方に目をやると,映像が変わってしまいました。字幕を読まないまま映像を見ると,主人公が砂をたたきながらまた何かを発したので,字幕を見ようとしたら,エンディングになってしまいました。
 映像も字幕も中途半端になってしまったので,一緒に行った友人に「最後なんて言ってた」と聞いてみましたが,よく分かりませんでした。

 数日後,本屋に「猿の惑星」の原作本があったので読んでみましたが,映画と原作はかなり異なっており,映画のラストに結びつくものは書いていませんでした。
 結局,ラストシーンの衝撃よりも,ラストシーンがよく分からなかったという衝撃がずーっと残ってしまいました。

 ちなみに,釜石で見た最後の映画は,昭和48年当時大ブームになっていた小松左京原作の「日本沈没」でした。
 今は,映画館は一つもなくなり,本屋も少なくなってしまいました。

カリアゲ

 小学生のころ,スポーツ刈りという髪型がはやり始めました。
 それまで坊主頭だった運動の得意な子のほとんどがスポーツ刈りになり,かっこよく見えました。真似をしてスポーツ刈りにしてもらおうと上中島町の床屋に行ったのですが,頼み方がわからず「前髪の長い坊主」のように言うと,できた頭は「角刈り」になっていました。髪がもとに伸びるまで,しばらく気に入らない髪型で過ごしました。
 ここ20年ほど馴染みの床屋で散髪をしていたのですが,2,3年前にその店が閉まってしまいました。それ以来,あちこちの床屋を渡り歩いていましたが,気に入った髪型にしてくれる店がありませんでした。カリアゲの上手な店が少なくなったのです。

住んでいたアパートのあった中妻町

 先日の夕方,昔住んでいた釜石の中妻町界隈を散策しました。
 この町は,製鐵所の社員アパートのあったところで,中学2年生の夏から卒業するまで住んでいました。
 今は,住んでいたアパートなど数棟が取り壊され,さまざまな商店が並んでいます。
 当時この辺に映画館がありましたが,名前を忘れてしまいました。

懐かしい中妻町の路地裏

 路地裏に入ってみると,中学生の時に散髪してもらった床屋が昔のまま残っていました。
 当時は,女性の店員が何人もいました。一度髪を短くしてもらいたくて,映画監督のように何度も「カット」「カット」と繰り返しましたが,店員に「これ以上カットすると,かっこ悪くなる。」と言われ,あきらめました。
 そんなことを思い出しながら,ちょうど髪も伸びていたので入ってみることにしました。

 店には,おしゃれな髪型をした小柄な初老の店主がおり,入口のソファーに腰掛け,テレビを見ていました。
 理容いすに座り,昔ながらの木製の鏡台や引き出しを懐かしく見ながら,「下の方はバリカンでカリアゲしてください。上の方も短めにお願いします。」といつものように注文し,「昔,近くに住んでいたのだけれども,映画館がありましたよね。何という名前でしたっけ。」と聞くと,店主は「○○館だよ。よく見に行ったね。」と答え,昔の話をし出しました。
 この店は,父親の店を継いだもので昔は店員がたくさんいたこと,父親は頑固な職人で似合わない髪型を注文するとよそへ行けと言っていたこと,髪型は長い髪にでなく短い方に合わせるものだなど,頑固さまで受け継いだみたいでした。
 しばらくして,出身校や年齢を聞かれ答えると,店主とは中学3年生の同級生で,彼はK君でした。この店が同級生の店だったとは知りませんでした。鼻にかかった声は,昔のまんまで,中学生の彼と話をしているような気分になってきました。尊敬していた担任の佐々木先生が早くに亡くなったこと,1回しかやらなかったクラス会,同じ班のI君や同級生のことなど,懐かしい話を聞かせてくれました。

津波被害のなかった中妻町は,空き地だったところが,今,住宅建築が盛んです。

 一通りカットが終わり,鏡を当てながら「どうですか。」と聞いてきたので,「いいですね。最近,カリアゲの上手な店が少なくなりました。」と言うと,「ここの角はもう少し切った方がいいですけどね。」と言ってきました。
 「じゃ,一番似合う髪型にしてください。」
 「ここもこうした方がいい。イメージが少し変わるけどいいですか。」
 「お願いします。ところで,映画館の名前は何でしたっけ。」
 「○○館だよ。」と言いながら,彼は,大海に出たサケの幼魚のように,生き生きとハサミをさばき始め,白粉をふって丁寧にカリアゲしてくれました。
 そして,ひげを剃り,髪を洗い,リキッドをたっぷり付けて,最後のセットをし,「どうですか。」とまた聞いてきました。「少し若返りましたか。」と聞き返すと,「若く見えますよ。」と言ってくれました。
 勘定を済ませ,お礼を言って店を出ると,もうすでに店じまいの時刻を過ぎ,辺りは暗くなっていました。
 (えーと,映画館の名前はなんだったっけ。)
 店に戻って聞き返すのも恥ずかしいのであきらめ,上手にカリアゲされたうなじをかき上げました。

釜石第2中学校1970卒業文集から
 彼との話の中に出てきたI君の作文です。

「希望」
 明るく素直で,やさしい心を,いつまでも
清らかな人生を,夢と希望を持って,力強く
真の道を。