薬師公園part2

(part1は,2012/10/22 5:53 103.7°の「朝早く起きたついでに,薬師公園に行ってみました。」にあります。)

忠魂碑 薬師公園の平和像の右脇にこんなものがあります。

これは,よく「不発弾」に間違われるようですが,日清・日露戦争での戦死者を弔うため,この公園に大正11年に建てられた忠魂碑の塔の部分で,鉄で砲弾の形に作り,台座の上に建てられていたものです。

 

昭和20年8月9日は,長崎に原子爆弾が落とされた日ですが,同じ日に釜石では惨状が起きました。釜石に製鉄所があったため,艦砲射撃を受けたのです。7月14日にもあったのですが,この日はさらに激しく,製鉄所が壊滅的に破壊され,小佐野町などの社宅も攻撃されて釜石の町はほとんど焼け野原となり,多くの犠牲者が出ました。高射砲隊が応戦した薬師公園も標的になり,忠魂碑は破壊されてしまいました。

その後,製鐵所は市民の復興への意欲から復旧が進み,3年後に操業が再開されました。薬師公園には,戦死者・戦災者の慰霊と釜石の永遠の平和を祈念するため,昭和29年に平和像が建立されました。
平和像について
薬師公園は,津波避難場所になっており,東日本大震災の津波の際にも多くの市民が避難したようです。今,眼下の大町は,がれきはすでに整理され,更地の土地もありますが,改修が済み利用を再開した建物,建て替えが始まった建物など,少しずつ復旧しています。大町

 釜石の町は,幾度も津波に襲われ,艦砲射撃に会いながらも,屈せずたゆまず,そのつど市民が立ち上がり,復興してきました。