モシリュウ発見物語(‘jjj’)

白亜紀の化石が発見される地層(宮古層群)

白亜紀の化石が発見される地層(宮古層群)の現れている茂師海岸

1978(昭和53)年の夏,岩泉町茂師(もし)の道路脇の崖上から恐竜の化石が発見されました。日本で初めての発見でした。

先日,出張の帰りに寄った国立科学博物館で,たまたま「研究者によるディスカバリートーク」で『モシリュウ発見物語』の回があり,発見者本人の地学研究部加瀬友喜博士がその時の様子を語ってくれました。

当時は,恐竜が活躍していた中生代は日本は海の下で列島も形成されておらず,恐竜化石が出てくることなど無いことが定説となっていました。戦前,日本領だった樺太で恐竜化石が出土し,「ニッポノサウルス サハリネシス」と学名が付けられていますが,今はロシア出土のものとなっています。その後,北海道などで恐竜化石に似たものが出土していますが,ほとんどが誤認でした。

現地は,「宮古層群」と呼ばれる約1億年前(白亜紀前期)の地層の出現している所で,暖かい海の中に生息していたサンゴやアンモナイトなどの化石が出ていました。沖に10度ほど傾いた保存の良い地層で,1億年前の津波の痕もあります。
当時,ここで巻き貝の化石の調査研究をしていました。その日,民宿に帰る途中の道の崖の上に大きな動物の化石のようなものを見つけました。化石がぼろぼろになっていたので,ボンドをいっぱい買い集めて固め,なんとか採集しました。骨の化石は,なめてみると舌にくっつくのですぐに分かりました。

2年後に中国恐竜展があり,展示されていたマメンキサウルスに似ていたことから,騒がしくなりました。そして,各地で恐竜の化石が発見されるようになりました。今盛んに発見されているのは,福井や兵庫,和歌山,熊本周辺などです。

加瀬博士は,恐竜化石の発見される確率(D)は,方程式D=pNAで導き出されると言っていました(pは発掘に携わる人数。ほかの変数は忘れてしまいました。)。
すなわち,pが大きくなればなるほど確率が高くなるということで,福井などでは多くの人が発掘に携わっていますが,モシリュウの発見された岩手県には発掘に携わる人が少ない。琥珀で有名な久慈地方にも白亜紀後期の地層(久慈層群)があり,もっと多く人が携わればたくさん発見されるでしょうと,熱く語っていました。

奇しくも,あまちゃん最終回で,水口君と小学生が恐竜の化石を発見(‘jjj’)し,新聞第1面に掲載されるというオチがありました(実話に基づく話ですが)。
第二の水口君がたくさん現れることを期待します(師匠の勉さんが増えると,眠れなくなるかな)。

モシリュウ発見場所

モシリュウ発見場所

がけ上の表示板

崖上の表示板

モシリュウ発見の解説板

モシリュウ発見の解説板

熊の鼻(発見場所近辺の熊の鼻展望台より)

熊の鼻と小本港(熊の鼻展望台より)

国立科学博物館http://www.kahaku.go.jp/index.php
国立科学博物館ホットニュース(2007.12.1)「恐竜化石の発見相次ぐ」→http://www.kahaku.go.jp/userguide/hotnews/theme.php?id=0001217896658956&p=2
平成25年9月24日三陸が日本ジオパークに認定されました!!
三陸ジオパーク推進協議会→http://sanriku-geo.com/

高田松原と一本松

被災した高田松原海岸

 高田松原海水浴場は,気仙川が上流から運んできた花崗岩由来の砂が作った砂嘴でした。
 太陽に輝く白砂を緑色の松林が包み,青く広い水平線が見える美しい浜でした。
 友人や職場の親睦会,家族づれで何度か訪れたものでした。

 が,大震災の津波によりすべてがなくなりました。
 砂は流され,松林はなぎ倒され,景勝地の面影もなくなってしまいました。

 そんな中,奇跡的に残っていた1本の松は「奇跡の一本松」と呼ばれ,鎮魂・希望・復興のシンボルとして保存されています。

奇跡の一本松

岡目八目(碁石海岸)

碁石浜と拾った石

 粒を揃えて碁石として献上したといわれている碁石海岸は,大船渡市の末崎(まっさき)半島の南端にあります。
 半島の先端が碁石岬で,その手前に「碁石浜」があり,碁石に似た黒く丸い石が敷き詰められています。
 この石は,中生代白亜紀(1億3千万年前)に海底に堆積した泥が硬い岩(頁岩)になり,地殻の変動で地上に現れ,風化して砕け,波にもまれて丸い石ころになったものです。

雷岩(右の岩)

 碁石岬の太平洋側は,海食地形になっており,高さ30メートルほどの崖が形成されています。
 レストハウス駐車場から松林に囲まれた遊歩道を通って海岸に進むと,「雷岩」に出ます。この雷岩の海面付近には洞穴ができており,波が打ち寄せると大きな音がするので,「雷岩」と名付けられました。

乱曝谷


 
 雷岩に挟まれた水路は,乱曝谷(らんぼうや)と呼ばれています。海が荒れると激しい波が打ち寄せ,砕け散った波が島を覆い,自然の猛威を目の当たりにすることができるとのことです(案内板から)。
 反対側から見ると,地層のつながりや傾きが見られます。
 
 海岸のさらに北側には,洞穴のある穴通磯(あなとおしいそ)があり,震災前は小型観光遊覧船で穴をくぐることができましたが,今は観光遊覧船は休業中です。
 
 レストハウスの近辺には「世界の椿館」や「大船渡市立博物館」があり,時間があれば寄ってみたい所です。
 
大船渡市立博物館→http://www.city.ofunato.iwate.jp/www/contents/1116565865093/index.html
世界の椿館→http://www.city.ofunato.iwate.jp/www/contents/1341204018763/index.html
 

湾口防波堤工事中の大船渡湾