8月11日日曜日の夕方,釜石湾に花火が上がりました。
この花火は,「鎮魂」「希望」の祈りを込め,LIGHT UP NIPPON実行委員会が企画したもので,被災した岩手,宮城,福島の3県で一斉に上がり,釜石でもここ大平町と唐丹町で上がりました。
たくさんの方々からの寄付や企業協賛があり,被災者に元気が送られました。
投稿者「一作」のアーカイブ
船越湾
一帯は,花崗岩(御箱崎の千畳敷と同じ)の海岸で,海食崖と砂浜が交互に連なっています(花崗岩は大槌町赤浜まで続きます。大槌湾内の蓬莱島も花崗岩の島です)。
荒神海水浴場と弁天島周辺
湾北には船越半島があり,船越漁港を過ぎて奥に進むと,白砂の荒神海水浴場と少し大きな弁天島が現れます。
浜の陰に行ってみると,海食崖が連なっています。海岸沿いに遊歩道があり,「国民宿舎タブノキ荘」のあったところ(今は船越第6仮設団地となっています)まで続きますが,一部津波による損傷も見受けられ,途中で引き返しました。
荒神社
荒神海水浴場の後背に「荒神社」があり,ここの社地内には,鎮西八郎源為朝の三男で奥州閉伊・気仙郡を治めた「閉伊頼基」の霊廟があります。
「予の遺骸を水葬せよ。吾東海の守護神たらん。」と遺託して病死しました。遺骸は水葬されましたが,船越半島の大釜崎に流れ着き,小谷鳥浜に奉祀されましたがその後この荒神社に合祀されたと伝えられています(解説板より。閉伊頼基については,釜石の尾崎神社にも似たような伝えがあります。)。
船越半島を出て国道45号線を南下すると四十八坂があります。海岸は海食崖になっていて,国道が海食台の上を走っています。現在は国道がほぼまっすぐ通っていますが,以前は,地形に沿って曲がりくねった坂の多い道だったので交通の難所だったようです。
展望台からは,北の船越半島や大島,南の野島などが一望できます。
四十八坂を過ぎると,浪板海岸が現れます。遠浅で返し波のない「片寄せ波」で有名でした。
昔は,防波堤がなくて高田松原のように松の生い茂った広い砂浜でしたが,地盤沈下と津波の影響で砂浜や松林が少なくなり,波も荒くなってしまいました。
吉里吉里海岸
吉里吉里海岸は,粒の大きい黄色味がかった砂の浜で,歩くと「キリキリ」と鳴ったことからこの海岸の名前が付いたともいわれています(実際は,波の音で聞こえませんが…)。
先月末,砂の芸術祭が開かれました。
津波で防波堤やベイブリッジの一部が壊れたままですが,この夏は海水浴客が来ていました。
高田松原と一本松
太陽に輝く白砂を緑色の松林が包み,青く広い水平線が見える美しい浜でした。
友人や職場の親睦会,家族づれで何度か訪れたものでした。
が,大震災の津波によりすべてがなくなりました。
砂は流され,松林はなぎ倒され,景勝地の面影もなくなってしまいました。
そんな中,奇跡的に残っていた1本の松は「奇跡の一本松」と呼ばれ,鎮魂・希望・復興のシンボルとして保存されています。
岡目八目(碁石海岸)
半島の先端が碁石岬で,その手前に「碁石浜」があり,碁石に似た黒く丸い石が敷き詰められています。
この石は,中生代白亜紀(1億3千万年前)に海底に堆積した泥が硬い岩(頁岩)になり,地殻の変動で地上に現れ,風化して砕け,波にもまれて丸い石ころになったものです。 碁石岬の太平洋側は,海食地形になっており,高さ30メートルほどの崖が形成されています。
レストハウス駐車場から松林に囲まれた遊歩道を通って海岸に進むと,「雷岩」に出ます。この雷岩の海面付近には洞穴ができており,波が打ち寄せると大きな音がするので,「雷岩」と名付けられました。
雷岩に挟まれた水路は,乱曝谷(らんぼうや)と呼ばれています。海が荒れると激しい波が打ち寄せ,砕け散った波が島を覆い,自然の猛威を目の当たりにすることができるとのことです(案内板から)。
反対側から見ると,地層のつながりや傾きが見られます。
海岸のさらに北側には,洞穴のある穴通磯(あなとおしいそ)があり,震災前は小型観光遊覧船で穴をくぐることができましたが,今は観光遊覧船は休業中です。
レストハウスの近辺には「世界の椿館」や「大船渡市立博物館」があり,時間があれば寄ってみたい所です。
大船渡市立博物館→http://www.city.ofunato.iwate.jp/www/contents/1116565865093/index.html
世界の椿館→http://www.city.ofunato.iwate.jp/www/contents/1341204018763/index.html
じぇじぇじぇ(‘jjj’)part2「北三陸鉄道」編
6月末の晴れた休日,あまちゃんに会いにロケをやっているという久慈(ドラマでは北三陸市)に行きましたが,すでにロケは終わっていました(じぇじぇじぇ(‘jjj’)から続く)。
三陸鉄道北リアス線のちょっと旅
ロケ地見学の帰りの臨時バスは,久慈駅(ドラマでは北三陸駅)まで送ってくれました。ここはJR八戸線の久慈駅と三陸鉄道北リアス線の久慈駅が隣り合っています。
地元岩手県に住んでいますが,三陸鉄道にはまだ乗ったことがなかったので,北リアス線に乗ってみることにしました。
駅舎内は休日ということもあり,大変混雑していましたが,駅員の方々がてきぱきと対応していました。
北リアス線は,現在は久慈,田野畑(ドラマ上は畑野)間のみの運行となっています。田野畑までの往復切符(片道960円)をお願いすると,「1日フリー切符(1500円)」を勧めてくれました。
ホームで待っていると,「お座敷列車北三陸号」が到着しました。お座敷列車(運賃+往復指定席料金600円)は,土曜日と休日に運行しています。
前日13時までの予約でお座敷列車弁当が食べられます。運行時間は,行きは,久慈発12:36→田野畑着13:25,帰りは,田野畑発13:40→久慈着14:30です。
乗車した久慈発14:45(田野畑着15:35)の列車は,レトロ列車「さんりくしおさい」でした。
トンネルの多い三陸鉄道ですが,トンネルの合間合間では太平洋が開けて景観の良い所があり,堀内駅手前の安家大橋付近などで列車が停車してくれました。
堀内駅から見る漁港には,あまちゃん「おら東京さいぐだ」の週で,夏バッパが東京に旅立つあまちゃんを大漁旗を振りながら応援した浜があります。
田野畑に到着しました。出発の15:52(久慈着16:40)まで17分の空き時間がありましたので,田野畑駅舎を散策しました。
三陸鉄道の駅舎には,それぞれ愛称が付けられており,田野畑は「カンパネルラ」になっています。
まちなか水族館
久慈駅の近くに「まちなか水族館」があります。
以前,石油備蓄基地に「もぐらんぴあ」と言う水族館がありましたが,大震災で津波の被害を受けてしまいました。しかし,サカナくんや多くの方々の支援を受けて,久慈駅前の空き店舗を利用して水族館を継続しています。
道の駅「やませ土風館」
久慈駅から西の方に,道の駅「やませ土風館」があります。手前物産館が「土の館」,奥の観光交流センターが「風の館」です。
物産館は,お土産の買い物客で賑わっていました。海産物は,非常に安いようです。
風の館には,久慈秋まつりで使用する大きな山車が飾られています。
お腹がすいたので,中のレストランで「漁師投げこみ丼」(漁によって具が変わるとのこと)をいただきました。
三陸縦貫鉄道
三陸鉄道(ドラマでは北三陸鉄道)は,昭和59年(1984年)4月(ドラマでは昭和59年6月)に開業した,当時としては初めての第三セクター方式による鉄道です。
『三陸鉄道物語(菊池弘著,産経新聞盛岡支局発行)』では「海のアルプス鉄道」と表現され,沿岸住民の「90年の悲願」が実を結んだと記されています。明治,大正,昭和の3代にわたる風雪の90年,青森,岩手,宮城3県の海岸線を結ぶ「幻の鉄道」とまで言われた「三陸縦貫鉄道」が1本の線になったのです(レールは2本ですが)。
明治29年6月の三陸大津波により被災した三陸沿岸の復旧のため三陸鉄道の敷設が重要であるという主旨で,同年7月に三陸鉄道株式会社の設立趣意書が提出されました。会社設立は却下されましたが,これが三陸縦貫鉄道構想のルーツと言われています。
その後鉄道は,八戸線(昭和5年),山田線(昭和14年),大船渡線(昭和10年),気仙沼線(昭和32年)が開通しましたが,久慈・宮古間,釜石・盛間が残ってしまいました。
ちなみに,釜石線全通(難関だった大橋トンネル貫通による足ヶ瀬・陸中大橋間の開通)は,昭和25年10月10日でした。
三陸鉄道株式会社→http://www.sanrikutetsudou.com/